ギャングパロ4.5
花京院は本を読みながら、あくびをかみ殺した。開け放たれた窓のブラインドからは細長い光が差している。軽いペーパーバックの中では古びた文章が並んでいた。(或声 お前はいつもお前自身を現実主義者だと信じていた。僕 僕はそれほどに理想主義だったのだ。或声 お前は或いは滅びるかもしれない。僕 しかし僕を作ったものは第二の僕を作るだろう。)目でつらつらと全く頭に入らない文章を追いながら、花京院はもう一度あくびをした。今度はかみ殺しきれずに、涙で視界が滲んだ。サイドテーブルに置かれたコップから水を飲むと少しだけ頭がすっきりする。
(或声 では勝手に苦しむが善い。俺はもうお前に分かれるばかりだ。僕 待て。どうかその前に聞かせてくれ。絶えず僕に問いかけるお前は、―目に見えないお前は何ものだ?)
なにものだ、と視線がそこまで落ちたとき、ベッドの上で承太郎が呻いた。滑らかで単調だった呼吸がふっと乱れて、意識が浮上していくのだろう有様がよくわかった。花京院は本をサイドテーブルに置いて椅子から立ち上がり、コップに新しく水を注いだ。それはブラインドからの細い光を受け取ってかすかに揺らめいた。
「おはよう、承太郎」
首を傾けてそう問うと、承太郎は不思議な顔をした。目の焦点がだんだんにあって、彼の頭が現実に焦点を合わせようと努力しているのがわかる。花京院は今日の日付を承太郎に伝えて、電話の子機を彼に投げつけた。承太郎は反射的に、それを左手で受け取って、大仰に眉をしかめた。声を出さない辺りは非常に承太郎らしいといわざるをえない。
「医者をここに呼ぶか、君が行くかは自分で決めてね」
銃創は放っておくにはすこし面倒くさすぎるのだ。
「抗生物質は水差しのところに置いてあるよ。まぁ、気休めだけどね。飲みたいなら飲んで。ちなみに僕は君がここに転がり込んでて驚いた。何かいう事ある?」
承太郎は花京院の言葉の勢いに押されて、漫然と頷いた。
「…悪いな」
「…まぁ、いいけど。いや、よくないんだけども!」
独り言のように叫んでから花京院は椅子に座りなおして、あくびをまたかみ殺した。承太郎が転がり込んでいた昼から丸一日がたっていて、花京院はなんとなく眠れなかったのだ。別に承太郎のことを気にしていたわけではない、と思う。ただ、なんだか落ち着かない。部屋の空気がざわざわと騒がしくて、身の置き所がなかった。
「大体どうやって入った?」
「窓開いてた」
「ここ九階なんだけど!」
「屋上からは近いじゃねぇか」
「その手で?!っていうか手当てもちゃんとしてないで、何やってんの!」
窓については今度から気をつけよう、と花京院は心に刻みながら、テンションのままに怒鳴った。承太郎はその勢いに目をしばたたかせてから、頭をかしげる。花京院は傾げられた頭について自分の頭を傾けた。視界も傾いて、まぁ、彼のこの癖は一体なんで付いたのだろうと考える。
「銃創で一番危険なのは?」
「ショックと感染症」
「はい、正解。君は消毒とおざなりな包帯だけで、なんでふらふらしてたのかな?」
ふらふらはしてねぇと承太郎が答える。まぁ、ふらふらはしないで、自分の家に来たのだろうけれど、と花京院は思って、ついでに彼は今寝床がないのだったという事も思い出した。別に逃げるところはいくらもあろうに、どうして!わざわざ!自分の家なのか。
「大体どうして僕の家にきたのさ」
「なんとなく」
「……へぇ」
何を怒っているんだと、ぼんやりとした頭のままで呟いた彼の声は丸い。花京院は別にと返した。そう返したら本当にどうでも良いような気がしてきた。ブラインドの細い光が彼の右目をすかして綺麗だった。
「近かったんだ」
悪かった、となんだかすこしうなだれた様子で言われてしまって花京院はため息をついた。そうして、承太郎の頬に手を滑らせると、そこはまだ熱を持っていて、花京院の手のひらには熱かった。目を細めて、医者に行くか、呼ぶか自分で決めなよ、ともう一度言った。
「行く」
「付き合おうか」
「いや、良い」
そう、と花京院は答える。寄る辺なく見える彼を心配した自分が馬鹿らしいと思いながら。だというのに、承太郎がまたここに戻ってきても良いかと聞くので、花京院は笑ってしまった。
「ダメって言ったってくるんでしょ、窓から」
承太郎はすこし困った顔をして黙った。図星なのか、なんと言えばいいのかわからなくて困っているのか、花京院にはわからない。それでも笑い出した声は抑え切れなくて、語尾がすこし震えてしまった。いきなり笑い出した花京院に驚いた承太郎を横目に見ながら花京院は、まぁ、帰る場所としてこの部屋を思い浮かべてくれたのは悪くない、とそんな事を考えていた。
開けられている窓から風が吹き込んで、本のページをぱらぱらとめくる。
(或声 人生はそんなに暗いものではない。僕 人生は「選ばれたる少数」を覗けば、誰にも暗いのはわかっている。しかも又「選ばれたる少数」とは阿呆と悪人との異名なのだ。或声 では勝手に苦しんでいろ。お前は俺を知っているか?
せっかくお前を慰めに来た俺を? 僕 お前は犬だ。昔あのファウストの部屋へ犬になって入っていった悪魔だ)
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