ギャングパロ3
眠りを覚ます呼び水はいつだって雨の音なのだけれど、それがどうしてだが承太郎にはわからない。雨の日に特別苦い思い出があるわけではない、大して楽しい思い出があるわけでもない。もしかしたら理由はないのかもしれないのだし、あるとしたのならば、それはがりがりに傷つけられたテープの向こう側にあって多分今は見られないのだろう。いつか見られるのかもわからないし、見たいとも思わない。 「あぁ、おはよう、承太郎」 にじんだ視界に赤く染まる花京院の姿が見えた。花京院はかっちりとスーツを着こんでどこかに出かける前のようだった。にしては随分とじっくり覗き込んでいたようで、なんとなく居心地が悪く寝すぎて節々が痛む体をひねった。指先まで熱が篭もっているので、大分寝すぎたようだった。 「君が来てから二日たってるよ。ちなみに赤いのは朝日だから」 夕日じゃなくてね、と花京院は付け足す。承太郎は何回か瞬きを繰り返してぼんやりとした頭の焦点を現実に合わせていくように努めた。そうか、と答えると花京院は全く仕方が無いと言う風にそうだよ、と返した。 「僕はこれから仕事。もしかしたら今日中には帰ってこないかも。鍵は郵便受けに入れといて。ご飯食べるならパンがあるから勝手に焼いてね。君のスーツは玄関先に置いてあるから。ベッド寝られてちょっと困ったから今度なんかおごって。僕は行くから、じゃあね」 矢継ぎ早にそう聞かされて、承太郎は幾分か目を見開いて頷いた。それを見て花京院は笑う。 「君はスイッチが切れてるとなんだかペットみたい」 図体はでかすぎるけど、と花京院は付け加える。承太郎はなんだか憮然とした気持ちになって、言ってろ、と呟いた。花京院はそういった承太郎を見て、何かを納得したように幾度か頷いた後に、じゃあ行って来るよともう一度いってからベッドを離れた。承太郎は頭をすこし振って、ぼんやりとした声で、ああ、と答えた。 扉の閉まる音がして、承太郎はベッドから抜け出した。あくびをかみ殺すと自然と涙が滲む。頭が眠気でぐらりとかしいで、もう一度寝たらいいじゃないかと囁いている。承太郎はそれをいつも振り切る。あんまりにも甘い声で、それを聞いてしまうとなんとなくもう二度と起きられない気がするからだ。指先に熱が篭もって膨張して、ベッドに溶けて自分はいなくなってしまう、という想像が容易にできる。 窓の外を見ると、随分と空は赤みが抜けてきている。雨はすぐにやんでしまいそうだった。 鍵は郵便受けに入れておいた。近いうちに(今度は寝てしまうのではなく)また尋ねようと思ったまま、承太郎は自分の家に向かう。比較的短いスパンで寝床を変える彼ではあるが、今回の部屋はわりと気に入っていて、いつもは荷物になるからと置かない本棚をしつらえてみた。簡素なものではあるが、床に本が散乱しているよりも大分良かったし、読み捨てていくよりも溜めてみたいと思っていた。仕事の前に買ったまま読んでいない本がいくつかあったはずだ、と承太郎は思って、頭の中でスケージュールを弄り回す。まだ大分暇があるので、一日二日は家に篭もってしまおうと思う。 ポルナレフあたりはいやだねぇと嘆息するのだろうが、彼のように陽気にもなれない承太郎であるから一人でいるのは苦痛ではないし、むしろ楽なほうなのだ。色々を置き去っている感はあるのだけれど、それもいまいち言葉にならない。 鍵を回してドアを開けると、床に直置きされた電話のLEDがちかちかと光っている。ソファもテーブルも、時計も、ベッドと本以外なにもないリビングなのでそれはひどく目立っている。承太郎はなれた動作でボタンを押す。 留守録には四件のメッセージが入っていた。一つは転送に転送を繰り返されてここに送られたらしい仕事の確認の電話だった。折り返しは必要なし、口座の確認だけしてくれとのことだ。暇ができたら行こうとそういえばもう何週間も前から思っているのだが行ったためしがない。別に生活できているから特に困ることも無い。ピー、と間抜けな音がして、二件目が再生される。 『…あ、えっと、承太郎さん、お久しぶりです。仗助です。今うちにポルナレフおじさ、あ、ポルナレフさんが来て、そろそろ承太郎さんがお休みだって教えてくれたので、もしよかったらこっちに遊びにきませんかってじじいがいってたので、来てくれると嬉しいです。でも忙しかったら無理しないで、「というわけだから承太郎、ちゃんとくるんじゃぞー」…あ、じじい!てめぇー!』 ぶちっとそこで留守録は切れていた。承太郎はスーツを脱ぎながらのどの奥で笑いをかみ殺す。そういえば仗助のところに最近顔を出していなかったな、と思った。留守録の日付はちょうど一昨日なので、本当に聞いてすぐに電話をしたのだろう。三件目です、と電話は律儀に告げて、留守録を再生する。 『…あぁ、久しぶりだな、承太郎。たまには顔を見せに来てくれよ』 ぎしりと体がこわばる。承太郎はぎりぎりとこめかみがしまっていくのを感じて、思わず奥歯をかみ締める。留守番電話は留守録の主の要らない情報、主に今日の昼は暇だとか、午後三時まではあいているとかだ、を律儀に吐き出している。ボス直々の電話などヴァニラあたりなら泣いて喜びそうではあるが、生憎こちらは迷惑なだけだ。かちかちと、脳裏で嫌な音が続いている。錯覚ならば幸いだけれども、おそらく。 『ちなみにこれは直通だ』 「…ぁんの、クソ野郎!」 言うが早いが後ろから迫ってきていた気配に蹴りを叩きつける。何時の間にやら不法侵入していた男はもんどりうって床に這いつくばった。咳き込んではいるものの床を蹴る反動ですばやく立ち上がりこちらに向かってくる。 黒目がちの瞳とかちあってその大きさに少し承太郎はぎょっとする。首を掴もうとする手を払いのけてグリップで殴ろうとすると、男は数歩引いてからこちらに向かって走り出してくる。別段狭くはない部屋で、全く家具もないからどこかのジムのように動き回れるけれども冗談じゃない。 「ああ、クソが!殺すなら、DIOを襲えよ、俺なんか殺したって意味がない」 承太郎の言葉に男はふとその目を不思議そうに揺らめかす。 「…お前がボスの気に入りだとまことしやかに流れてるぞ」 直通電話も来ていることだ、そのお陰でなんど寝床を変えたかもう覚えていないけれど、これはDIOの嫌がらせなのだ。承太郎は吐き捨てる。 「そんな噂、滅殺されろ」 脳裏にDIOの笑い声が木霊している。外では暢気で陽気な仮面売りの声が聞こえる。承太郎はこいつを倒したらDIOのところに殴りこんでやるとそればかり考えている。 アポイントメントはおとりでしょうかと受付の女性が微笑んで言う。毎度毎度のやり取りが半ば習慣化されてあることに承太郎は疲れてしまう。なんだが自ら会いに来たように錯覚してしまいそうで、全く嫌になる。 「久々だな、承太郎」 DIOはにこやかに笑ってそういったので、承太郎は疲れきってため息をつく。どうだ、とりあえず座れよと革張りの黒いソファを指し示し承太郎はそれにしたがって腰を下ろした。何をいわずとも、テレンスがコーヒーを差し出す。 「お前が会いにきてくれなくて私は寂しいよ」 「俺はお前と会わなくて清々してるぜ」 承太郎の言葉にDIOは大げさに、しかし幾分か芝居じみて、なんてことだと嘆いた。DIOが座っている椅子の後ろは防弾ガラスが張り巡らされていて、水槽のように外の景色が遠かった。 「お前をそんな風に育てた覚えはないぞ」 「お前がそんなに真っ当な接し方したか?」 ふむ、とDIOは承太郎の言葉をしばらく転がしたが、何かの結論がでたらしくなんだか悲しそうな顔をした。もっとも承太郎の目にそれは彼が何か面白いことを思いついたときにする意地の悪い顔としてしか映らなかった。 「初めて銃を持つお前は初々しくて可愛かったのにな」 「知るか、そんなこと」 苦々しく承太郎は呟いた。彼の中のDIOは老いることがない。彼が幼い頃から彼のボスはその姿で、金色の髪と赤い瞳をして美しく妖しかった。承太郎にはある期間の記憶がぶつぶつと無い。落っこちているのだが傷ついて見れないのだがわからないけれどその部分を自分で見ることが出来ない。だから彼の記憶は小さい頃母親と暮らしていて、彼の祖父であるところのジョセフやらと遊んでいたおぼろげな記憶から、なぜかDIOとの暮らしに飛んでしまう。 もう少し前はもっと色々思い出せていなくてぽっかりと空いた何年もの空白があって、その後に突然自意識が表れてDIOと暮らしているところから始まっていた。ジョセフが自分の祖父で、かつDIOの組織にいるのだと思い出したのは、最近ではないが随分昔というわけでもなかった。承太郎は覚えが悪いほうでは決して無くて、むしろ抜群によかったのでそこから先抜け落ちているところはない。正確に言い直せば、あまり無い、ではあるが。 だからDIOが承太郎の幼い頃を殊更に語るとき、それは承太郎の記憶にはないものであることが多い。DIOのいう言葉は承太郎には嘘のようにも真実のようにも聞こえる。そうして大概において、このボスがもたらす真実も嘘も、ろくでもないことが多い。 「おや、お前は覚えていないのか。私がお前に一番最初に握らせたのは32口径のオートマチックだった。なにせお前の手はまだ小さくて柔らかくて、暴力というものには全く慣れていない滑らかな形だったから。私はお前にその銃を握らせて、逐一直した。その握り方ではよくない、親指が折れてしまう。反動で跳ね上がって顔に当ってしまうかもしれないから、とな」 ぎぃと革の椅子が軋んで、DIOは立ち上がった。いつの間にかテレンスはいなくなっていて、防弾ガラスは陽を反射して気持ち悪く歪んでいる。承太郎は眉を潜めて、DIOの行動を見つめている。 「親指の先の位置に安全装置がある。下がっているか確認しろと私は言った。幼いお前は酷く嫌がりながらも下がっていることを確認した。私はお前の手に自分の手をそえてスライドを引いてやった。スライドは引かれたままで、銃弾は装填されていた。お前の目の前には一人の女がいた。細くやわらかい栗色の髪と薄い色の目をした女だった。女は首をふって泣き叫んでいた。やめてくれ、どうか、その子に引き金を引かせないでと」 「なんの」 話だ、と呟くとDIOは面白そうに微笑んだ。最初に言ったではないかと付け加える。DIOは音も立てずにけれど確かに一歩一歩歩いて承太郎に近づいた。革張りのソファに座って、顔を近づける。赤い瞳は、承太郎のおぼろげな記憶の中とすっかり同じに禍々しい。 「お前は嫌がっていた。だが私はお前の、暴力になれていない柔らかい人差し指を引き金にかけさせた。引き金はお前の想像以上に軽かったのだろうな、あれは暴発だ、過失だ、ある意味事故だ。だが引き金は引かれた。お前は目を見開いていたが泣かなかった。お前は正しく銃を握っていなかったから銃口は跳ね上がって銃弾は女の首に当った。まったく何時だって発砲音というのは間抜けだ。バースデーパーティのクラッカーと変わりない」 DIOは承太郎の頬に冷たい手を置いた。承太郎はおもわずその手を払いのける。ぱん、と乾いた音が響いて、DIOはにやりと楽しそうに笑った。 「覚えていないのか。お前は覚えがいいのにな」 私と違って、とDIOは付け加えた。DIOの語る言葉は承太郎にとっていつだって真贋が混じっている。本当かわからない。嘘であるかもわからない。息を吸うと肺が冷えた。 「私は私が殺した人間の顔など覚えない。そんなもの記憶するに値しない。だがお前はその利口な脳みそに全部をつめている。大事なものは抜け落ちているのに、瑣末なものばかりで頭を埋めているんだ」 「…だまれ」 承太郎はうなる。払われた手を二三度なでて、DIOはもう一度その冷たい手を承太郎の頬に滑らせた。喉の奥で空気がつまるのを楽しそうに聞く。 「だから私がお前を作ってやろう」 振り上げた拳をとられる。反抗する獲物は本当に好ましいとDIOは笑う。 「そうだ、そういえば、あの日は雨が降っていたな」 そういってDIOは承太郎の瞼に口付ける。冷たい唇に、何かがこみ上げる。がりがりに傷ついたビデオテープの向こう側に何があるのか承太郎にはわからない。DIOはおぼろげな記憶の中と全く同じ優しげな声で繰り返す。 「愛しいな、承太郎」 防弾ガラスで歪んだ外は綺麗に晴れている。 |