ギャングパロ2







 花京院は自分が存外わがままであることを知っている。例えば銃は常に整備されたものではなくては嫌だからよく手入れをするし、銃弾は常に携帯しておきたい。部屋のピッチャーに入れられたミネラルウォーターにはレモンの輪切りが入っているし、パスタに使うオリーヴオイルはエキストラがいい。スパイスラックは白くて常に綺麗であるのが良いし、シーツは新しいのが好きだ。人を殺さなくてはならないときはスーツを着ないと落ち着かない。ワイシャツに付いた返り血は、別に気にならないし、それを洗うのは嫌いじゃない。煙の匂いが染み付きそうな手を手入れするのは趣味みたいなものだ。
 窓の外を見るとぺらりと薄い空が見える。色は真っ青で濃いけれど、花京院には空は蓋のように見える。裏側には白い陶器の取っ手がついていて、神様が手で空を押しのけるとただ真っ白な空間がある。多分そこは天上とも言うし、虚ろともいうのだろうと思う。
 神を信じるか、という問いに花京院は笑って答える。もちろん。
 でなければ、人の命を奪うことで生きていられるだろうか。それが金に直結しているという即物さは花京院を時たま救っているし、落ち込ませる。
「あはは」
 乾いた笑いで、花京院は窓を開ける。空気は暖かくて、ふわふわと微笑む。狂人も冷たい部屋から這い出て、人もよく死ぬ春だ。もっとも夏は暑さで腐って人は死ぬし、秋は狂っていくし、冬は部屋の隅で寒さで固まった死ぬのだから殊更春に人を殺すわけでもない。抗争やらを別にすればその線は常にフラットだ。儲かる仕事で、将来も安泰。高給取り。ドジは踏まないけれど、仮に踏んでも投獄されるのは下っ端にすぎない。理想的な職種さ、ハレルーヤ!
 花京院は腕をぐるっと回して、マットでも干そうかと思う。風呂の掃除は終わったばかりで、洗濯機も回している。昼まではもう少し時間があるから、ベランダに干して、食べ終わって本でも読み終わるころに取り込めばちょうどいいだろう。
 今日も良い日だ、何しろ生きているのだし。
 花京院がそう思いながら、寝室へ向かおうとしたところで、ドアノッカーのうちなさられる音がかすかに耳に届いた。それに気づいて花京院はため息をついてから玄関に向かう。ドアを開けば、なんとも綺麗な無表情で、長身の男が一人立っている。黒いスーツに、白いシャツ。スタンダードな様相で、汚れ一つなく綺麗だ。革靴は磨きぬかれた色をしている。
「承太郎」
「なんだ、いたのか?」
 いると思ったからノックをしたんじゃないのかと花京院は思うけれど口には出さないで、そう、今日はね、と答えた。
「これからマット干して、昼ごはんつくって、本読んだりしようと思ってたんだ」
「優雅だな」
「こんな休日に仕事してる君と違ってね」
 いやいやながら、というふりをしながら花京院は承太郎にはいれば? と促す。承太郎は全く綺麗な無表情のまま頷いて言われるままに扉をくぐった。ぱたんと静かな音で閉まれば、硝煙の匂いがする。
 硝煙の匂いを花京院は忌まわしいとは思わない。花火の燃えカスみたいな、ともすれば高揚を伴うような匂いだ。でもそれを家に持ち込まれるのは好きじゃない。承太郎のスーツや髪や、手のひらからはけむりの匂いがする。
「禁煙してたんじゃなかったっけ?」
 花京院はなんとなく癖になっている笑顔で、承太郎に問いかける。承太郎はその問いにすこし不思議そうな顔をしてから、わずかに困ったような顔をした。その表情のどれにも感情が感じられないことに花京院はなんともいえない気持ちになる。
「いいや、もうやめた」
「禁煙を?」
 そうだ、と承太郎は静かに答えて、花京院は、あぁ、そうなの、と別に興味があって聞いたわけでもない話題に上の空で相槌を打つ。嘘だろうと本当だろうと、どうでもいい事に違いない。
「寝に来たんだったら、シャワー浴びてからにしてね」
 頭の中で冷蔵庫の中身を確かめながら、二人分くらいは作れるだろうと見当をつけて、花京院はそう言った。家に硝煙の匂いを持ち込まれるのは好きではないし、風呂は掃除したばかりだ。承太郎は、そうか、と答える。

 承太郎が花京院の家に来ることはそんなに珍しくはない。花京院はソースを作りながらそんな事を考える。大抵仕事の後で、そのまま駆けつけてきたようにきなくさいのに、埃や返り血でなんかどこも汚れていない綺麗な姿と表情で現れる。そういえば彼の仕事は処理屋にとって楽だと評判だ。綺麗な仕事をする、らしい。
 陽気な歌を口ずさみながら花京院はフライパンを揺らす。
「うーん」
 こんなもんか、と花京院は火からフライパンを下ろす。
 承太郎が花京院の家に仕事の後で来るとき、大抵は寝に来ている。頻発するのは春のことで、それはもうぐっすりといつまでもいつまでも寝ているので、その度に花京院は多分もう承太郎は戻ってこないのだと思う。それか眠りの中で何かを点検しているか、再構築しているか、捨てているに違いないと思う。
 起きれば彼にはめずらしいぼんやりとした目でこちらを見て、今日が何日かを聞く。花京院は質問に答える。承太郎の目が覚めるとき、花京院は必ず家にいる。別に承太郎が寝ている間家にずっと篭もっているわけではなくて、たまたまに過ぎないが外したことはなかった。
(今日だったら、多分明後日くらいだろうな)
 せっかく洗ったシーツもかけられるのはちょっとばかり伸びそうだとため息をついた。承太郎が浴室から出てくる気配がして、花京院は昼の用意を終わらせる。濡れた髪の承太郎を見て花京院は笑う。承太郎は眠たそうに瞼を二度、三度瞬かせて、窓から差し込む光に反射している。ガラス玉のようにからっぽに思える。そこには眠りしかつめこまれないようなそういう深さをしている。
 妄想にすぎないかもしれない、と花京院はゆるやかに思いながら皿にパスタを盛る。昨日の残りのすっかり気の抜けたスパークリングワインをグラスに注いで出す。ずるずると眠りにむかって落ちていく足元が滑らかになればという意地の悪い気持ちもある。
 承太郎は小さく礼を言って、テーブルについた。
「…この酒…」
 承太郎がグラスに口をつけて、反射的に眉を潜めたのを見て花京院は小さく噴き出す。
「君は毎度突然来すぎ。嫌がらせは謹んで受け取ってくれよ」
 苦い顔で努力はしよう、と言う承太郎に花京院はまた笑った。片付けは君に任せるよ、と付け足すと承太郎は頷く。承太郎は彼に似合わないゆっくりとした仕草でフォークを動かしている。例えば仕事の時のあの狂気じみた振る舞いも何もない。なんにも持たない人間のような、寂しさがつきまとっているように花京院には思える。
「今日の君はスイッチが切れてるね」
 笑っていうと、承太郎は首をかしげる。スイッチ?と聞き返すと、花京院は笑ったまま、そうスイッチと切り返す。
 窓を覗くと真っ青で薄っぺらい空が見える。太陽は白くて暖かそうだ。神を信じているのかと言う問いに花京院は笑って答える。もちろん。でなければこれから眠る彼の目覚めを待つことなんて出来ない。そこまで考えて花京院は、寂しいのは自分なのかもしれないとぼんやりと思った。