想像





 じょうたろうさん、と幾分眠たげな声で仗助が承太郎を呼ぶと承太郎は穏やかな声で返事をした。わずかに笑っているようでもあって、仗助はそれがとても珍しいことだと知っていたので、承太郎に何が起こったのだろうと思っていた。
「承太郎さん、なんだかご機嫌ですね」
「あぁ」
 ホテルのベッドの上で寝返りをうつ。承太郎はソファに座りながら何をするでもなく、ただ目を伏せてどこともしれない場所を見ている。何かを思い出しているのか、考えているのか、仗助にはわからない。こんな時仗助は、卑怯だと知っていて何にもなりはしないともわかっていながら、ヘヴンズドアーが使えたら楽だろうにと思う。承太郎のことを全て知ったら彼がわかるようになるのかもしれない。
 それか案外隠していることなど何もなくて、やっぱり途方にくれるだけなのかもしれない。
「承太郎さん」
「なんだ、仗助?」
 もう一度よぶと、今度は名前をつけて返事をしてくれた。仗助は何を考えて呼んだわけではなかったので、そう答えられると言葉に窮する。承太郎は本当に何が嬉しいのか、穏やかな笑みを顔に浮かべていた。彼が時折見せる静かなものではなくて、本当にただ今が幸せでたまらないという顔をしている。穏やかで、過剰もなく不足も無く、停滞して、どこへも行くところが無いような顔だ。
 泣きそうな顔にも見えたが、あまりにも見慣れない表情なので、よくわからなかった。じょうたろうさん、ともう一度呼ぼうとして体を起こしたところで目が覚めた。自分の家の見慣れた天井が見えて、あぁ、夢だったのだと気がついた。

 仗助はホテルに向かって歩く二十分かそこらの時間、誰と一緒でもない場合はただひたすらに考えている。例えばテストの点数だとか、明日の宿題のこととか、おなかがすいただとか、晩御飯のこととか、吉良のことや、自分の父親について、母親や祖父について、承太郎についても考える。
 例えば彼は泣くのだろうかとか、だとしたらどのようにだとか。
 夏まではまだまだ遠くて、風は冷たい。海沿いの風は温かいが、それでも妙な薄ら寒さがぞくぞくとつきまとう。
 泣くのなら、と仗助は思う。泣くのなら彼はどんなことでなくのだろうかと考える。例えば失った仲間や、離れている家族について?仗助には想像ができない、あまりにも情報が無いし、また聞ける気もしないからだ。
 人が死んでしまうことに仗助は恐怖を抱いている。そこに衝撃が何もない事が怖かった。まるで朝、目が覚めたらいなくなっていて、そして帰ってこないだけのような気がしていて、そのゆるやかさが怖い。いない事になれていき、それがあまりにもゆっくりだから、もしも死んだ人間が帰ってきても問題もなく受けれいれてしまえるに違いない。
 じいちゃん、どこへ行ってたんだよ、おかえり、と。
 おそらく迎えてしまえるだろう。生きて戻ってきてほしいといわれればもちろんそうだけれど、死んでしまったと分かっている。戻ってこないのも知っているのに、だけれど多分迎えてしまう。死はそこにあっていつでも何かを飲み込む。重い垣根を軽々越えて、こちらへと歩み寄ってくる。
 死は落とし穴に似ている、と承太郎が言ったのを仗助は覚えていた。自分も家族も、なにもかもあっけなく飲み込む。何の注意もなく、何の合図もなく、不条理然として飲み込む。怖いわけではなく、ただ在るのだと思う。ぴったりと寄り添っている。
「はは」
 思い出して仗助は笑った。大概ありえない話だ。この現代日本で、食べ物も住む場所も金も地位もあって、死がよりそっていると感じるなんて。いつでも後ろから自分を食うかもしれないだなんて、仗助は思わない。思えない。
 だから、仗助は彼が泣くのだろうかと考える。例えば失った仲間や家族について考えて、泣くのだろうかと。泣くとしたらどんな風になくのだろうかと思って、きっと声はあげないだろうとか、表情は歪まないだろうとか、想像できる箇所からあげていく。
 そうして、夢で見たような、あの表情に突き当たる。過剰も不足もない、彼に似合わない幸せそうな顔。
「泣かなそう〜」
 涙とは感情の発露だ。彼の中の感情は綺麗に整理されて余剰がないのだ。もしあったとしても、それは余剰と名がついてしまわれている。整備された脳内の、どこまでも続く白い道で仗助は途方にくれて立っているような気持ちになった。
 中身が知りたい。生のままの、血のしたたるような感情が知りたい。仗助はそう願う。いつも。
 そんな事を考えているとやがてホテルにたどり着く。柔らかい色のロビーを抜けて、エレベーターに向かってボタンを押して、そしてやがて狭いホテルの廊下にある扉の前にたどり着く。
 そして扉にノックをする前に、もう一度、彼はなくのだろうかと考える。
「泣く訳ない」
 訳ねぇ、と仗助は繰り返す。