苦手同士







 最近周りでトランプが流行ってるんですと仗助が言いながらカードを切っていたら、承太郎は何かを思いついたように笑った。それはいつもの承太郎の静かな笑みではなくて、幾分か茶目っ気の勝った楽しそうな笑顔だったので仗助は少し動揺した。承太郎さんもこういう顔をするのだな、とまるで呆けた感想を持っていると承太郎はその笑顔のまま、切っていた途中のカードの束を取って、鮮やかな手並みでテーブルの上に半円状に並べた。
 好きなカードを取ってみろ、というので適当にカードを取る。手品かなにかなんだろうかと仗助は思い、承太郎に見せないように札を覗こうとした。
「ハートの3」
 仗助が札を確かめるのと承太郎が札を当てるのとはほぼ同時だった。仗助が驚きで目を丸くすると、その大げさな反応が承太郎には面白いらしく、笑顔が収まることはない。承太郎と手品というなんともちぐはぐな組み合わせにこそ仗助は驚いているのだけれど、なんだかその笑顔がひどく、可愛らしいので、つられて笑ってしまった。
「どうやるんすか、こういうの?」
 笑いながらそう聞くと承太郎はちょっと遠くを思い出すような顔をしてから、目と記憶力だな、となんだか仗助には出来そうにない事を言った。
「なんか手品のタネにしては力業っすね」
 そもそも手品のタネとかそういう話ではない。承太郎は力なくそんな事を言っている仗助をあまり気にかけずにトランプを鮮やかな手際でしまってから、気分転換は終わりだと言った。
「勉強をしにきたんだろう」
 仗助はその言葉を聞いて、そうだったと思う。そういう口実で、仗助は承太郎に会いに来ているのだ。
 
 おい、聞いているのか仗助、とぼんやりした頭に流れ込んできた言葉に反射的に、はい、もちろんです、と仗助は返した。もちろんと頭につけるには御幣があれど、仗助は正直なところ承太郎の話をあまり聞いていなかった。頭に入ってこないというのが正確なところだろうか。
 それをしっかりわかっているらしい承太郎はすこし苦々しい顔をしている。仗助だって、できれば承太郎の言葉を逐一頭につめて、お前は大した奴だと認められたい気持ちはある。あるというか、積極的にそう思われたい。だが、そうは行かないのが学業というものだ。集中力がぶつぶつと途切れ、あちこちに興味がいきだし、最終的に承太郎の声が耳を優しく撫でるまでになった。意味は拾えずにただ心地よいと思うばかりのそれである。
 仗助としては問題が無いが、承太郎はあからさまに自分の言葉が聞き流されているのがわかったらしく、大げさにため息をついている。飾り気のないシャーペンを握っていた指がとん、と机を叩いた。
「英語なんて、覚えるしかないだろう。あとは反復だ」
 本来教えることなんてありはしないんだ、と仕方なさげに呟いている。仗助は仗助で、承太郎のホテルにあがりこむ口実に英語を教えてくれと言ったことを結構後悔しているのだ。もっと他愛ない事でも言えばよかったと本当に思っている。来るたびに承太郎ではなく教科書とにらめっこなんて泣かせる話だと思う。
 しかもテスト前でもない、人々が暇を謳歌しているという夏休みに!
「いくつかの基本的なルールと山ほどの例外があるだけだ」
 お前は頭の回転が良いんだから、体で覚えろ、と承太郎は冷たく言い放つ。覚えがいい人間の言葉そのものだ。そんな言葉を引き出すような環境を作ったのはまぎれもない仗助自身だがそれにしても困ってしまった。
「まぁ、頑張れよ」
 そんな困っている仗助をしりめに承太郎はそう言い放って、ノートを閉じた。
「そりゃないっすよ、承太郎さん〜」
 心底困った声でそう言う仗助が承太郎はおかしくて仕方がないのだが、まぁ、蒔いた種は自分で刈り取るのが良いだろうと判断して顔には出さなかった。
「それに、お前英語苦手ってわけじゃないだろう」
 そう言うと仗助は、うっと言葉につまってから視線を外す。ふらふらとあらぬところへと視線を移してから、ごまかせなくなったと判断したのか大げさにうつむいた。
「そういうのってわかるもんッスか?」
「お前は間違いをあまりしないからな」
 承太郎の書きなれた英字とはまた違う四角張った文字が並んだノートを見ながら承太郎はそう答えた。仗助はそれに納得がいかないような顔をする。
「承太郎さんの教え方が上手いからかもしれないっすよ」
「生憎だが、俺は人に物を教えるのは苦手なんだよ」
 英語で苦労した記憶がないからな、と承太郎は机の上においてあったコーヒーを飲みながら言う。もうすでに中身は冷たくなってきていて、もう一杯淹れるかと思い、立ち上がる。
 仗助は机に突っ伏して、あからさまに失敗した、という顔をしていた。口を尖らせてなにやら反省中のようだ。何を反省しているかは承太郎には想像もつかないが。
 ドリップのコーヒーが入れ終わる頃には仗助は反省をしし切ったらしく教科書もノートも鞄にしまわれていた。机の上には、ちらばった筆記用具とコーヒーカップくらいしかない。
 まぁ、しかし熱心だな、と承太郎は新たに淹れたコーヒーを仗助の前に置きながら喋る。
「ほぼ毎日来るとは」
 承太郎のその言葉に仗助は、まぁ、あんたに会いにくる口実なもんで、と言いかけてすんでのところで飲み込んだ。言ってどうなるという気持ちと、この人ならそうかと流しそうだという気持ちがせめぎあって変な顔をしてしまった。
「迷惑でしたか?」
 なのでそれをいかにも申し訳ない、という顔に汲み取ってくれるような言葉でごまかす。すると承太郎はそれこそ意外だという顔をして、いいや、と柔らかく否定した。
 そうですか、と仗助は答えて、それからしばらく沈黙が降りた。仗助は承太郎と過して、沈黙自体が苦痛であるという事はなくなった。なにせ話すことが無いときの承太郎は本当に何も話さずに、別段それに不都合も感じていないらしい。気にするだけ無駄なのだと気がつくまでに随分と精神を消耗したものだと思う。
 あ、そういえば、と仗助は思い出したように承太郎に話しかける。
「さっきの手品、もう一回やってくれません?ってか、どこでああいうの覚えたんですか?」
 承太郎が仗助の言葉を受けて、エジプトで、と答えた。するすると承太郎の口からまるで湿度を伴わない言葉が出てくる。魂をチップに賭けをしたのだと。
「へぇ、そのじじいと行ったっていう旅の」
 続きが聞きたい、とかじりつくように聞けば、さっきとはえらい集中力の違いだな、と笑われた。
「遊びと勉強はべつっすよ」
 そう口を尖らせると、承太郎は笑って、俺もだな、と返した。