バンドパロ







 鳴り響く音楽は彼らを守っている。がなりたてるエレキギターも、打ち鳴らされるドラムも、しゃがれるまで叫ばれる声も世の中のあらゆることから耳を麻痺させて彼らを守っているのだと、誰か言っただろうかと承太郎は思いながら煙草の煙を吐き出した。煙草を吸っていて便利だと思うことのひとつに、間の持たせ方がある。例えば全然好きでもないバンドの演奏なんかを聞いて居るときは、軋むばかりのすわり心地の悪いパイプ椅子に座って、煙草で吸っていたらそれで勝手に時間が過ぎていくというものだ。
 同じような考えなのかそうでないのか、他の幾人かの人間もスツールに座って煙草をふかしていた。その煙がライブハウスの天井辺りにわだかまっている。最後の一曲です、と変に爽やかな笑顔をしたボーカルが、リズムを取ってギターを鳴らす。線の細いベーシストが見た目に似合わないすばやいカッティングをする。けれどどうにも面白くない。承太郎はつまらなそうに鼻を鳴らして、煙草をもみ消した。小さなライブハウスの中で音は暴れまわって頭蓋骨を揺らすが、けれどそれだけだ。鼓膜が麻痺して、ひどく気持ちの良いことでもあるけれど。
 何をするわけでもなく、酒を飲み煙草をふかしている。大きい音で不明瞭にボーカルがバンド名を告げる。ライブに入ってる客が思いのほか多いことを喜び、セッションしたバンドを褒め称える。ギターやベースのチューニング、時折ならされるドラム。カウントを取って、始まる音楽に承太郎は目を閉じた。既視感だ。ただ吟味せずに飲み込む、音だけが気持ちいい。なかば無意識に煙草を咥え、火をつけようとするとライターを差し出された。驚いて、ライターを差し出された方を見ると先ほどのバンドのベーシストが妙ににこやかに笑っている。部屋全体が振動して人の声など聞こえないライブハウスで、男は口をゆっくりと動かしていった。
 あとで話がしたいんだと。

 どうして待ったのかと問われたら、暇だからとしか応えられない。階段を上がって外にでると耳の奥が静寂を感じ取る。実際のところは麻痺をした鼓膜が勝手に震えているだけなのだろうと承太郎は思っている。だから視線の先の男の声はすこしくぐもって聞こえる。
「ボーカル?」
 自分の声も篭もって聞こえた。承太郎の声を聞いて、男は嬉しそうに微笑む。どうして自分に声をかけたのだ聞けばひどく目立っていたのだと、悪びれずに男は答えた。
「そう、ボーカル募集中。君の容姿は控えめに言っても完璧」
 どう?と胡散臭い笑顔で告げる男に承太郎は馬鹿にしたように笑った。
「腐った音楽プロデューサーみたいなこと言うんだな」
「ビジュアルバンドじゃ整形って当たり前らしいよ」
「だからなんだ?」
「容姿は元からあるに越したことないって事」
 てめーのバンドのボーカルがいるだろうがと言うと、男はすっと無表情になりそれから取り繕うように笑った。
「背に腹は変えられない」
 というか、と男は付け加えた。
「うちコピーバンドなんだ。ボーカルは見事引き抜かれました。躊躇なくバンドを捨ててプロの世界に飛び込むわけ。で、僕は結構根にもつタイプなんだ」
 今日が最後のライブだったんだよね、とあっけらかんと笑う。承太郎は増していく胡散臭さに煙草のフィルターを知らずにかんでいた。随分渋い顔をしているようで、それを陽気に喋っていた男はあわてて畳み掛けるように喋る。
「もちろん、誰彼構わず誘ってるわけじゃないよ」
 嘘くさい。大体どうして自分なのだろうと承太郎は頭を抱えたい気持ちになった。それなりに人気のあるバンドだったらしいし、ボーカルとしてバンドをやりたい人間など吐いて捨てるほどいるのだ。
「人を見る目はあるつもりなんだ。一目ぼれって奴で」
「そんなにボーカルが必要なら自分でやれ」
 やれやれだ、と承太郎は呟いてそう返した。大体路地の真ん中でどうしてこんな話をしなければならないのか。プロ志望のミュージシャンでもなんでも、捕まえてくればいい。自分より歌が上手い人間などいくらでもいる。
「うちはロックバンドだから、バラードは向かないんだ。僕は声質的にも、シャウトはダメだし」
「方向性、変えろよ」
「悔しいじゃないか!」
 いつの間にか煙草がフィルターぎりぎりまで短くなっている。苛立たしげにもみ消して、新しい煙草を咥えてライターを探していると男がさっとライターを出した。
「てめぇ、いつ盗った」
「盗ったなんて!手先が器用だといってくれ」
 ライターに火をともしながら男がそう言う。承太郎は渋い顔で、それでも煙草に火をつけてもらってからライターを奪い返した。
「花京院典明」
「あ?」
「僕の名前」
 まるでわるびれずににこにこと言うものだから、承太郎はすっかり風で冷えた掌を額にあてて、幾分か脱力しながら答えた。
「空条承太郎だ」
 なんだか後悔をしそうだ、と思いながらも呟いたのだがその予感は当っていた。その名前を聞いて、男、花京院はすこし驚いた顔をして大学の名前を呟く。自分の通っている大学の名前であることに承太郎はかなり驚いた。
 花京院はそれを見て、まさか、と言った風に笑う。
「君、うちの大学で有名だよ。目立つからだろうけど」
 花京院はそういって、もう一度しげしげと承太郎の全身を眺める。そういう視線を向けられることに慣れていないわけではないけれど、どうにも苦手だ。まるで悪いことでも思いついたように、花京院はにやりと笑う。
「せっかく大学が一緒なんだ。きっと君はバンドのボーカルを引き受けてくれると思うよ」
 ちなみに、ギターがひければなおよし。容姿は完璧だし、声量はありそう。声質もいい!と次々と付け加える花京院に、逃げられる気が承太郎はしなかった。