Albus.
遠く聞える波の音に、煩わしさとか、寂しさとか感じていた。 どうして自分は此処に居るんだろう。 どうしてあの人は此処に居ないんだろう。 考えても考えても答えは分りきっているのに。
あの人と出会ってから一緒に居た時間なんて、きっと三日間にも満たないんだろう。 それでも、……それでも、俺は幸せだと感じていた。
最初に出会ったのは浜辺だった。 白く大きな塊が一心に海を眺める姿と言うのはどこか恐ろしいとすら感じた事を覚えている。
だけど、それでもすごく気になって、バイクを降りたんだ。
「あのー……あんたって、承太郎、さん。 ですよね? 仗助の親戚の」
あの人はどうせ俺が近づいた事なんて、始めから分っていたんだろう。 全く驚きも、たじろぎもせずに後ろを振り向いた。 しゃがんだ相手が上目遣いで見る。 そこに見える、綺麗な綺麗な、深い森の色。
「(目ぇ、緑だ)」
「……あぁ。 そうだが、君は?」
あの人はゆっくりとした、面倒臭そうな動作で立ち上がって、俺を見下ろした。 さっきまで光を当ててキラキラと輝いていた綺麗な色は帽子の影に覆われて、ただただ黒く見える。 もったいないな。 なんて、思ったことを覚えている。
「えーっとぉ、……噴上裕也って、言うんすけど……仗助との間柄は……せ、戦友?」
話しかけてから気がついた。 そいやこの人、俺の事なんて知らないんじゃねーか! って。 俺も知ってるから相手も知ってる、なんて傲慢に過ぎねぇよな? ま。 話し掛けちまったもんは仕方がねぇ! って、しどろもどろになって後を続ける。 そしたら、あの人は笑ったんだ。
「……あぁ。 仗助と一緒にエニグマの少年と戦った……康一くんから話しは聞いているよ。 その節は世話になったね」
暗い海の底みたいな緑の瞳が、ゆっくりと細めて笑ったんだ。 そりゃもう、ぐらぁ、って来た。 一瞬で血が頭に上るみたいな、立ちくらみに似た衝動。
綺麗、とも、可愛いとも格好良いとも違う、ただひたすらの好意。 俺はこの瞬間、この緑の瞳に恋をした。
そうして、それ以来俺は学校帰りに海に寄る事が週間になった。 たまに仗助の姿が見えたらその日は街を一周してからまた海に向かった。 そうしてまで会いたかった、あの緑の瞳。 否、そんな理由は最初だけだった。 一日目よりも二日目、二日目よりも三日目、ドンドン好きになるその瞳の持ち主。
表情の変化は乏しいけれど、それでもゆっくりと喋るその人の声は、すごく。 すごくすごくすごく! 心地よかった、時たま荒くなる口調はすっげぇ男らしかったし。 そう、間違いなく俺のその行為は、段々と「すき《に変わっていったんだ。
「そいや承太郎さんと仗助って親戚なんですよね? 従兄弟とか?」
上意に聞いた、そんなこと。 俺は承太郎さんを知らない。 承太郎さんだって、俺を知らない。 知りたいって思う事、聞きたいって思う事。 それは自然な事だ。
「…………まぁ、そんなところだ」
長い沈黙の後、承太郎さんはそんな風に答えた。 何かを考えるような仕草、珍しいなとは思ったけれど、特に追求はしなかった。
(後に知った事だが、承太郎さんと仗助は甥と叔父の関係で、仗助と腹違いのお姉さんの息子が、承太郎さんなんだそうだ)
この事実を知った時、俺は正直泣きたくなったことを覚えている。 承太郎さんは割りに面倒くさがりやだ。 それは分っている。 けど、けれど……。
承太郎さんの口から聞きたかった、知りたかった。 教えて欲しかった。 我侭だって事くらいは分っている。 けど、それでも、…………分りたかったんだ。
こんな風に感じる気持ち、こんな風に思う心。 どうしようもなくなっていた。 まるで崖上に放り出されたような、そんな気持ちだった。
下手につついたら、この気持ちは簡単に言葉になって出てしまうんだろう。 ……どこかで、それを望んでいたのかもしれない。
けれど、あの人は上手く俺を避けていた。 一緒に居た頃は気付かなかったけれど、あの人は確実に俺に最後の一線を保たせたんだ。
…………そんなあの人との思い出は、何もこれだけじゃあなかった。 その事が、俺の心を未だに掴んで、ずるずると引っ張り、小さな傷を付け続けるんだ。
その日も俺は海に行って居た。 承太郎さんは珍しく海に足をつけていて、何か考えるように水平線を眺めていた。
そんな横顔がすっげー綺麗だったことを、覚えている。
「承太郎さん」
後ろから声を掛ければ、承太郎さんは振り返った。 振り返る間際の顔が、どこか泣いてるみたいに歪んでいたのを、俺は見逃さなかった。
踏み込んじゃあいけない。 そんな風に振り返った顔は訴えていた。
「裕也か。 どうした」
この頃には承太郎さんは俺のことを呼び捨てするようになっていた。 最初こそ、「噴上くん」なんて呼ばれていたけど、俺が呼び捨てにしてくれって言った。 そしたらすぐに裕也って呼んでくれて………… 自分で頼んだくせに、顔が熱くなったんだ。
「……いや、海に入ってて珍しいなぁって《
「あぁ。 今日は暖かかったからな。 少し浸かってみたくなったんだ《
口角を上げて笑う仕草は実にシニカルで大人っぽかった。 俺も割りと大人っぽい方だと思っていたけど、やっぱしこういう笑い方はある程度年齢重ねないと渋みはでねーよな。
「そいや熱いっすもんねぇ……よっし、俺も!《
靴を脱ぐ、靴下も脱ぐ。 ズボンも巻くって海に足を突っ込んでみた。
「つ、めた……!」
真面目にびっくりした。 そりゃそうだよな。 暖かいたって、まだ夏じゃねーんだから……
「ははは……一回手で確かめてから、足をつけるべきだったな」
承太郎さんは冷たさに悶える俺を見て笑った。 どこか悪戯っぽい、ちょっと可愛い笑い方だった。
「な、なんで承太郎さんそんな平気そうなんですかっ!」
「ずっと浸かっていたから慣れたんだろうな」
承太郎さんはそう言って更に沖へと足を薦めていく。 足首までだった水が、脛に、膝に、太ももにと近づいていく。 膝までまくし上げたズボンはもう、ずぶ濡れだ。
まるで入水自殺でもするんじゃあないか。 それくらい遠慮がなくて、ヤケになったような足どりだった。
「じょ、承太郎さんっ!」
俺は思わずその広い背中に叫んでいた。 自分でもどうしてこんな風に声が震えていたのか、分らなかった。
「どうした?」
承太郎さんは、足を止めて俺を振り返った。 そしてなんでもない風に笑うんだ。
「今年、…………今年の夏、一緒に泳ぎましょうよ!」
何とか出た言葉は、そんな言葉だった。 どうせなら、こんな風に灰色の空と海じゃあなくて、蒼い空の下、この人と海に行きたかったんだ。
「仗助も、康一も、億泰も、なんかほら、漫画家の先生とか、皆で一緒に海行きましょうよ! 焼きそば食って、イカ焼きくって、カキ氷もいいと思うんです。 だから、俺、俺……!」
次の言葉は出なかった。 用意すらしてなかった。 言葉が勝手に出て止まらなくて、それで、すごく、すごくすごく。 泣きたくなった。
「……」
承太郎さんは何も言わない。 海に足首だけ浸かる俺をじっとその緑の瞳で見るだけだった。
「……っじょ」
「それも、…………それも、良いかもしれないな」
口を開いた承太郎さんがよく通る声でそんな風に呟いた。 俺に笑ってくれたんだ。
俺は、我慢なんて出来なくなって承太郎さんの下まで歩いたんだか、走ったんだかして近づいた。
手を伸ばした。 手を。 どうせ触れないだろうな、なんて諦めていたその手は、承太郎さんの頬に伸ばされた。
俺は今、もう誰も立っていない海辺を眺めていた。 あの人と一緒に過ごした期間なんて、ほんの些細な一瞬だった。
もう足跡すら残っていないそこに、少しでもあの人との思い出があるんじゃあないか。 たまにそんな風に思い出しては此処にきていた。
季節はもう秋だ。
あの人と過ごしたかった夏は、疾うに過ぎてしまった。 一方的な約束は、果たされなかった。
きっと、俺は来年の夏も同じように待つんだろう。 来年の秋も、同じように思うんだろう。
あの人と過ごした日々、あの人に触れた瞬間。 俺はそれを抱いて生きていく。
海を見つめた。 あの日と同じように、灰色の空と海が水平線で繋がっていた。
END / 080510
運動装置のn様から頂きました!
承太郎さんの裕也よびとか、習慣になっちゃう噴上とか、超萌えました!
すごくプラトニックで、多分わかってるんだろうな承太郎とか、いろいろと言葉に出来ない萌えがつまっている!
エチャってすばらしい!本当にありがとうございました!